生きる 死ぬ 蘇る
2008年 08月 06日
なんだか、ここ最近、蘇ることに関していろいろ考えてる。
考えてるっていうか、考えさせられているような気もする。
今日は遠藤周作の「深い河」を読み始めた。
祖父の家がお寺だからなのか、
音楽みたいな形の無いものをやっているからか、
人は死んだら、次の段階に行くって事に関して、
僕はそれが当然だと思っている。
むしろ、世の中がそれを確信していないことが変。
そんな世の中が当たり前だから、そこまでの違和感は感じないけど、
逆を想定した場合、
つまり、
輪廻とかが当たり前だって世界で育っていたら、
それを信じない世界をとても不思議に感じるだろう。
よって、少なくとも僕の中では
蘇るという常識≧蘇らないという常識
なわけだな。
新しい課題が出来た。
いつか小宮哲朗が死んで、蘇った時、
僕に小宮哲朗の存在を教えるにはどうしたらいいんだろうって。
僕は小宮哲朗だったってことを知らせるにはどうしたらいいんだろうって思った。
世界中の幼稚園や小学校の音楽の教材に、
小宮哲朗作曲の音楽を入れるっきゃないってとこだ。
出会える可能性は高いとは限らないけど、きっと気付くだろう。
他に何か方法はないものか。。。
考えてるっていうか、考えさせられているような気もする。
今日は遠藤周作の「深い河」を読み始めた。
祖父の家がお寺だからなのか、
音楽みたいな形の無いものをやっているからか、
人は死んだら、次の段階に行くって事に関して、
僕はそれが当然だと思っている。
むしろ、世の中がそれを確信していないことが変。
そんな世の中が当たり前だから、そこまでの違和感は感じないけど、
逆を想定した場合、
つまり、
輪廻とかが当たり前だって世界で育っていたら、
それを信じない世界をとても不思議に感じるだろう。
よって、少なくとも僕の中では
蘇るという常識≧蘇らないという常識
なわけだな。
新しい課題が出来た。
いつか小宮哲朗が死んで、蘇った時、
僕に小宮哲朗の存在を教えるにはどうしたらいいんだろうって。
僕は小宮哲朗だったってことを知らせるにはどうしたらいいんだろうって思った。
世界中の幼稚園や小学校の音楽の教材に、
小宮哲朗作曲の音楽を入れるっきゃないってとこだ。
出会える可能性は高いとは限らないけど、きっと気付くだろう。
他に何か方法はないものか。。。
by komitetsu
| 2008-08-06 01:31
| 生活