愛と恋

2005年6月12日に書いたコラムを掲載してみた~。

久々に読んでみたら、4年も前だけど、なかなか美しい。

そして若かったような、今の方が若いような。

論理的感動系です。

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愛と恋


たまには、
語ってみるのもよいと思って、
一度ベッドに入ったけど、
書きます。
テーマは愛と恋について。
なんかストレート。
まあいいや。
なお、これらは僕の勝手な考えなので。
まあ注意書きもいっか。
僕の部屋の20分進んだ時計は既に深夜2時。12日になったばかり。


愛と恋ってやっぱり違う。両方Loveな英語が可愛そう。
まあ英語にもいろいろあるんだろうけど、よく知らない。
日本語には「愛人」「恋人」って二つ言葉がある。
中国語ではどちらの意味も「愛人」と書いてairenと読む。
でも日本語の「愛人」は本当は「恋人」なんじゃないかな。
「恋人」という文字に似合う感情は「愛」のように思う。
丁度納豆と豆腐みたい。


前にもこの日記で書いたけど、感情×時間=愛=現実性。
「愛する誰かがこの世からいなくなることを信じれなくする力」が愛。
あるドラマでテーマになった議論は、
愛する人が死んでしまった場合、人はどうするか?真実の愛とは?
50代の男の答えは「死んだことを認めることはできないまま生きているものとし続ける」
若い男の答えは「死んだその人の分まで精一杯生きる」
はて。どっちかな。
両方現実性を愛と考えた上での行動。
前者は愛する者そのものの存在に現実性をおいて、
後者は死んだことまでもを現実として考えている。
って今考察するとそうなのか。

愛って感情じゃない。
すごく哲学的なビジョンの中にある話。
って哲学書なんて読んだことほとんどないけど。

世界は存在しうるのか?って話。
あなたは今こみてつの文章を読んでいるわけだけど、
もしかしたら夢の中で読んでいるのかもしれない。
もしかしたら覚醒剤が見せる幻覚の中で読んでいるのかもしれない。
「そうじゃない」って証明できる?
できない。
だったら生活の中の全てのこと信用できないじゃん。
でもただ一つだけ信用できるのは自分の存在。
自分自身がいなければその意識は何ってことになるでしょ。
見ているもの、聴いているものが本物かは分からないけど、
その情報を受け取るあなたがいるんだからあなたの存在は確実。
一番現実的な存在が自分自身。
だから誰しも自分自身に一番愛がある。
愛は感情じゃない。現実性。存在感。


次、恋の話。
多分このサイトで恋について書くのは初めて。
恋について、これって断言できるものが無い。
いつも思案をめぐらしながら現れては消えていって、
言葉にならない。定義できない。あと5年以内に考えまとまるかな。

恋は感情。
感情はいろいろ種類あるけど。喜怒哀楽。
ここでこれらを二つに分ける。これも引用だけど。
喜び悲しみグループの感情と、怒り楽しみグループの感情。
喜び悲しみは、瞬間的な知覚によってある時点でピークになってあとは落ちていく。
落下の感情。
「大学合格」「身内の不幸」これらの情報を知った瞬間感情がこみ上げる。
だけど感情はどんどん落ちていくばかり。
なぜなら愛の力がそれらの情報を現実的に変えるから。
時間と共に情報は自分の世界の一員になっていく。
情報が「あたりまえ」のものになった時にはすでに感情的でなくなる。

怒り楽しみグループは継続の感情。
同じ事柄が何度も感情を湧き立たせる。
ある情報に怒りを覚える。ある行動を楽しいと感じる。
それらは幾度となく感情につながる。
「遊園地行く。帰りたくない。」楽しいって感情は常に継続したくなる。
怒りの感情の例が思い浮かばないなあ。
なんか怒り狂うことがあるとしよう。それは悲しみのように慣れることができない。
怒りを抑えようとするが、それは怒りが継続してしまうことの裏返し。
そのうち自然と別のことを考えたりして継続しないようにする。
だからこれらの感情は継続の感情。

さて、恋の感情の話に戻る。
ってこんなの考えたこともないけど。
文章打っているうちにこうなった。
何書こうかなんて何も決まってない。
ただ指に任せていればきっと解答が見つかるかなって、ぼや~っと思っているだけ。
むしろ指って人がいて、彼の文を自分が見て考えている感じ。
そういうのない?たとえば楽器弾いている時ってそうじゃない?
自分の紡ぎ出す音に自分が触発されるじゃん。同じ。
なるべく何も考えないほうが自分の考えていることをストレートにまとめられるのかも。
言葉にすると複雑になるだけ。複雑な事柄もそれで一つの言葉にすればいいわけ。
その作った言葉を辞典で開くと書いてある内容がこのコラム。みたいな。
ちょっと違うか。
戻らねば。

恋の感情ってそもそも何か?
多分これは人によって違うのかなって思う。
だからあまり説得力がないんだけど、自分の場合を例に出すほかない。

僕の場合は「惹かれる」って言葉がすごく「恋」に近い。同じ色の言葉。
惹かれるって言葉は残念ながら僕の身の回りのある辞書には載ってないけど、
「胸が苦しい」とかいうのかな。
心臓が落ちてしまいそうで目を閉じたくなって息を吸えなくなる、あの感情。
優しさに包まれるような気もする。
春の暖かい太陽の下で、花は咲き乱れ鳥は歌い泉は水晶のように輝き・・・的な。
そんな感情が恋。
具体的には高校の時とか同じクラスの好きな子が自分の列の3つくらい前の席に座ってて、
休み時間になってその子が立ち上がって振り向いたりした瞬間、「あぁ・・・」的な。
大好きな曲が流れだした瞬間、動いていたからだが全てストップして目を閉じてしまうってのも
恋に近い。僕の場合はそういうのを恋と呼んでいるのだけど。
非常に芸術的。異性を芸術作品みたいに捉えているのかな僕は。
だからってそこまで面食いとかじゃないけど。まあ血は仕方ない。まあいいや。

う~ん、表現するの難しいな。もっと理論的に行こう。

さっきのを取り入れる。
恋って感情はどっちグループかと言うこと。
落下か継続か。

書き忘れたけど、継続の感情も慣れます。落下します。
でもそれは愛の力による落下じゃない。
そして落下の感情より落下速度はとっても遅い。
楽しみの場合は感覚が鈍ることによる落下。
五感に左右されて情報の特質が徐々に真新しくなくなる。
まさに「慣れる」って感じ。
怒りの場合は、拒否反応。自分の頭を整理しようと体が動く。
でも感情の原因にネガティブになろうとする。
悲しみは逆で、感情の原因にポジティブになろうとする。
どちらも落下はするけど、その方法はまったく逆。

恋は、慣れる。よく使う言葉では「飽きる」。
あんまり適当な言葉じゃないと思うから使いたくないけど。
大好きな音楽も聴きすぎると真新しく感じなくなってしまう。

恋の中でも一目惚れは落下の感情。
見た瞬間世界が変わって、その瞬間の感情の盛り上がりに我を忘れる。
ドラマチックに感じちゃったりして、「あの時はあんなに素敵だったのに」となる。

そして上のどちらも惹かれるの感情でもある。
「恋とは感情的なもの。」そして「感情とは落下するもの。」
これだけで今は十分なのかもしれない。
あくまでも愛との比較の時点では。

                                 部屋の時計は3時。

さて、愛と恋。
綺麗に比較できるようになりました。
感情的であるか否か。

そしてもう一つ。
ベクトルの問題。
愛は時間に比例する。
生きていく時間はどんどん伸びていく。
感情があったらなおさらだけど。

だから。

愛は上昇し続ける。
恋は落下し続ける。

愛が感情なのではなく、恋が感情。

だからいつも恋に目移りして愛が見えなくなるんじゃん。
愛は盲目って言うように。

これで十分。



本当はすっごく根本的なこと書いてないんだけど。
まあいいや。綺麗に締めれたし。コラムだし。


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ここまで。

読んでくれた人ありがと!

また久々にちょっと考えてみます。
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by komitetsu | 2009-02-23 12:10 | 生活

チェロ、作曲、DAW、世界放浪


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